ドーキンス Re: Beyond Demonic Memes

Richard Dawkins Replies to David Sloan Wilson
http://www.skeptic.com/eskeptic/07-07-11.html#reply
より。


ドーキンスによるウィルソン(http://d.hatena.ne.jp/korompa/20071108)に対する返答です。

リチャード・ドーキンスによるデイヴィッド・スローン・ウィルソンに対する返答


Skeptic誌の「ドーキンスが宗教について間違っている理由」と題された記事で、デイヴィッド・スローン・ウィルソンは次のように述べています。

ドーキンスの「神は妄想である」が出版されたとき、彼が進化論的に見た宗教の科学的研究をベースにして宗教批判を行っているのだ、と当然のように思っていました。残念ながらそうではなかったと言わなければなりません。


なぜウィルソンはそんなことを「当然のように思」ったのでしょうか。わたしが宗教の進化に目を向けると想定してしまうのはたぶん筋が通っているのかもしれませんが、ではなぜ進化論的な観点をベースにした批判になるのでしょうか。アッシリア木管楽器やツチブタの穴掘り行動をベースにするのと同じではないでしょうか。『神は妄想である』には宗教の進化上の起源についての章があることはあります。しかしこの章がわたしの本のメインテーマからすれば周辺的だと言うのは控えめな言い方になるでしょう。イギリス版の抜粋版オーディオブック製作の際、どの章が重要でどの章は省いてもいいか検討しなければなりませんでした。最初に省き、録音をまったくしなかったものは、進化上の起源についての章でした。それを録音できなかったのは残念です(アメリカ向けには完全版が収録できたのが救いです)が、この章は本の中心的なテーマからするともっとも重要でないものと思われました。


この本の中心的なテーマは、神が存在するかどうかという問いです。宗教がある種のダーウィニズム的生存価があるのかを問うことも興味深いだろうとは思います。しかしその答えがどうであろうと、神が存在するのかどうかという中心的な問いには何ら差も生み出しません。宗教信仰は生存にとってマイナスの価値をもっているかもしれないし、神は存在するかもしれないし、存在しないかもしれません。『神は妄想である』の別の章ではほかにも重要な主張をしていますが、これに関しても、宗教が進化的に有利であるところで議論に影響はないのです。


集団淘汰に関しては(一般に理解されるものにせよ、ウィルソンが30年間もこだわり続け、個人的に定義しなおした独特の意味でのものにせよ)、宗教に関しては特殊な場合にそういう感じのものがあてはまるかもしれない、ということを『神は妄想である』で仕方がないので1ページ半だけ書いておきました。しかし1ページ半が精一杯のところです。たとえば宗教の起源は「ロウソクの炎に向かうガ」のようなものだという理論のように、話すべきおもしろい問題はほかにもありましたから。ウィルソンにが集団淘汰と呼ぶものについては読者にウィルソンを参照するように書くにとどめました。当時はこれが寛容な態度だと思いましたし、今でも、彼が主張するような本ではなくわたし自身の本を書いたことを後悔すべき理由をなんら持ち合わせてはいないのです。