MSNBC vs ブッシュ(笑)

アメリカというか、Diggでは結構盛り上がってるみたいで、フォローアップ用にMSNBCのキャスター キース・オルバーマンの検証を訳してみる。

トランスクリプトこちらより。

オルバーマン

クリントン氏が Fox News Sunday で発言した内容についての議論はいまだに衰えることなく、彼が指摘した問題について影を投げかけています。クリントン氏は、ブッシュ政権9・11前にオサマ・ビンラディンを確保あるいはアルカイダを殲滅するためにどのようなことを行ったのか、もっと議論がなされるべきだ、と指摘しました。

昨日ブッシュ大統領クリントン氏の発言に対する見解を明らかにせず、我々は、過去についての検討はすでに行っている、と述べたにとどまりました。

しかし着実に未来に向けて前進するためには、我々が当時どのような状況にあり、いかにして現在に至るかを知る必要があります。

現在ホワイトハウスにいるのはクリントンではなく、ブッシュ氏なのです。

ブッシュ大統領の政策がアルカイダと戦うための指針となるわけですから、大統領が今までどうやって戦ってきたのか、明らかにしなければならないでしょう。

二人の大統領を比較してみるのはホワイトハウスに何が出来るのかを明らかにするという点で意味のあることだと思いますし、また必要だと考えます。

クリントン氏は明快です。かれはビンラディンの確保に失敗しました。
ブッシュ氏はこれまで失敗を認めたことはありません。

9・11レポートにより明らかにされましたが、クリントン氏がスーダン政府からビンラディンを拘束し、差し出そうという申し出を辞退した、という事実が一般に知られるようになった一方、同様の、しかし現実問題としてはより重要な調査がブッシュ政権にまで行われたかどうか、議論されたことはほとんどありませんでした。

このビデオテープを見ると、そういうことは全くといっていいほどなかったのではないか、と思わされます。2001年2月にブッシュ政権がそのような調査についてのレポートを表明しているときのもので、このときすでに駆逐艦襲撃がアルカイダによるものと判明していました。

記者:アフガニスタンタリバン政権はアメリカが制裁措置を解除すればオサマビンラディンサウジアラビアに引き渡す用意がある、と言っており、アメリカと交渉したいと考えているようですが、このことに関して何かあれば教えてください。

フライシャー氏:持ち帰って検討後返答します。

この後この件に関して問題が取り上げられたことを示す記録はありません。

最近のインタビューで国務長官のライス氏はクリントン氏の発言に対しブッシュ政権の業績を擁護しこう述べました

ライス:アルカイダと戦うための包括的戦略なんてもらってません。

私たちはここでクリントン氏の発言を検討し、ブッシュ政権誕生後の8ヶ月の間にわたるアルカイダ対策についての業績を検討したいと思います。まずはライス長官が言ったようにクリントン氏は対アルカイダ戦略を残さなかったのかについてです。

ビデオ

ブッシュ氏が大統領に就任後5日目の1月25日、反テロ対策の最高責任者であったリチャード・クラークはライス氏にメモを送っています。このメモには「アルカイダの脅威を排除するための戦略について」と題された文書が添付されてありました。クラーク氏によれば、この文書は前政権から現政権へ渡されたもので…外交的、経済的、軍事的な、開かれた外交[?]と情報機関を連携させたものである、というものです。

クラーク氏のメモはフォローアップの、閣僚レベルミーティングが行われ、アルカイダという時間をあらそう問題に取り組むよう要請していました。しかしブッシュ大統領はテロ対策を閣僚レベルの問題から格下げしたため、クラーク氏はこの問題に関して「副」長官とやりあうことになりました。

クラーク:この結果数ヶ月にわたる作業の遅れが生じました。そもそも副官による委員会が早急に、1月あるいは2月に開かれるということはありませんでした。

この遅れの理由についてライス氏はこう説明しています。

ライス(2004年4月8日):アメリカのアルカイダ政策がうまく機能しなかったのは、アフガニスタン政策が機能しなかったためであり、アフガニスタン政策が機能しなかったのはパキスタン政策が機能しなかったせいです。アメリカの反テロ政策はアメリカの地域戦略および全体的な外交政策と結びつかなければならないと認識していました。

つまり、クラーク氏の1月25日のメモが正確に指摘しているように、「アルカイダは小さなテロリスト問題ではなく、幅広い地域政策が必要とである。…対中央アジア政策を分離主義へと見直されることなどにより、アルカイダへの包括的な多地域政策の必要性に対して十分に対応できなくなるおそれがある」という認識です。

クラーク氏によれば、彼とその他の副官たちの会議は4月になって行われ、そのとき国防副長官のポール・ウォルフォウィッツは真のテロの脅威はアルカイダではなく、イラクである、と主張したとされます。7月16日までに副長官会議でアルカイダ対策案が作成されます。クラーク氏によればこの案は基本的に彼が5ヶ月前にライス氏に託した物と変わりのないもので、さらにこの案は上司である閣内の長官に承認される必要があったのです。

クラーク:しかし長官たちのスケジュールは埋まっていたし、その後彼らのうち多くがバカンスを8月に取りました。そういうわけで8月に会議を行うことができず、9月になったのです。

閣僚は他の問題について会議を行ってきたかもしれませんが、アルカイダについての会議は労働の日、つまり9月4日まで行われたことはなかったのです。

ではブッシュ氏と彼のアドバイザーたちはこの間いったい何をしていたのでしょうか。

政権移行期にクリントン大統領とサンディ・バーガー国家安全保障顧問はブッシュ次期政権にアルカイダの確保の緊急性について説明したとしています。

ブッシュ氏が大統領に就任する3日前にバーガー氏はライス氏も出席した任務引継ぎの際の挨拶でこう述べています。

バーガー(2001年1月17日):ノーフォーク基地で襲撃された駆逐艦の生存者に会ったとき、アメリカは今新たな反西洋的なイスラム原理主義者との決死の戦いのさなかにあるとの確信を強めました。この状況を表すのに戦争という言葉を使っても過言ではないと思います。

8日後クラーク氏はライス氏に、クリントン氏が立案した報復作戦を手渡します。結果的に、駆逐艦襲撃の実行犯はアルカイダであることが判明します。

翌日 FBI は駆逐艦襲撃がアルカイダによるものであると結論づけたのです。

ブッシュしは軍事作戦命令を下しませんでしたし、クリントン氏による既存の対策をさらに検討することもしませんでした。代わりにクリントン時代の外交工作にを繰り返しただけで、パキスタンムシャラフ大統領に書簡2月と8月に送っていただけです。

9・11まで、ブッシュ大統領駆逐艦襲撃という、水上でボートから行われた攻撃について質問された時にも、就任以来繰り返してきた変化のない安全対策を述べたに過ぎません。

ブッシュ(2001年2月27日):わが国の人民および同盟各国の安全を確保するために、効果的なミサイル防衛を開発、配備しなければなりません。

上院を支配していた民主党は大統領は焦点を見誤っていると警告しています。

レヴィン(2001年6月22日):わが国の安全および世界中に配置されている軍隊の安全に対する最も起こりうる脅威、つまり駆逐艦や兵舎、大使館および世界貿易戦争へのテロ攻撃といった非対称的な脅威に対して十分な対策が講じられていないのではないか、危惧しています。

レヴィン氏だけではありません。ハート=ラドマン委員会の事務局長によって提出された、委員会が研究したテロの脅威についてブッシュ氏とチェイニー氏へ説明したいという要望は却下されました。


2001年2月26日、ポール・ブレマー氏は政府について、「政府は大事件が発生するまではよろよろと動き、それから『事件処理に対応しているはずじゃなかったのか』と突然言い出すんではないか」と言っています。

9・11レポートによれば、ビンラディンでさえブッシュ大統領駆逐艦襲撃に軍事的な報復を行うのではないかと考えていたとされます。「2001年2月…情報筋によるとビンラディンアメリカの反撃を予想しており、それがない場合にはより大きなことを起こそうと考えていた」

最も有名な警告は8月6日の大統領日例指示に訪れます。「ハイジャックもしくはその他の攻撃の準備と歩調を合わせるような、例えば最近のニューヨークでの連邦ビルの調査などといった疑いのある行動が見られる」ことについて報告されています。

9・11レポートより:

「大統領は8月6日に司法長官あるいはライス氏とこの件に関して議論したことを記憶していない」
「9月11日以前に大統領近辺が、米国内でのアルカイダによる攻撃の脅威についての可能性をこれよりも検討したという事実は見当たらない」
「国内の官庁は何をすべきかわかっておらず、誰も命令を下さなかった」
「国境や交通システムにおける取締りは強化されなかった。電子的な諜報活動は国内の脅威に向かっていなかった。州や地域レベルでの法制強化は FBI の活動強化に寄与しなかった。民衆に脅威は知らされなかった。」

事件後の説明は近年のテロの歴史に対する認識が甘かったことを示しています。

ライス(2002年5月17日):アルカイダのメンバーが飛行機を乗っ取り世界貿易センターに突っ込む、つまりハイジャックした飛行機をミサイルに使おうとしていたなんてことを当時考えることができた人なんて、いないんではないでしょうか。

チェイニー(2004年9月7日):9・11にあんなことが起こるなんてことをどうやったら我々に想像できたでしょうか。

ブッシュ(2002年1月26日):奴らのやり方は想像を絶する。

1994年、フランス、エッフェル塔ジェット機突入計画阻止

1995年、フィリピン、国防総省世界貿易センターへ飛行機を突入計画が明らかに

1999年9月、米国機関による研究:アルカイダ国防総省へ飛行機を突入のおそれあり、と警告

2001年3月、ニューヨークで行われた米国大使館爆撃の裁判での証言:ビンラディンが部下を送りパイロット訓練を行わせ、飛行機を得ようとしている

2001年7月、ザカリアス・ムサウィがジャンボ機を操縦しようとしているという情報をFBIは察知

2001年9月、FBI のメモ:ムサウィは「世界貿易センターに向かって何かを飛ばす」ような人物であるとの警告

2001年9月10日、ダイアン・ファインスタイン上院議員はチェイニー副大統領との会見を要求し、積極的な反テロ対策を要請しようとしましたが、チェイニー氏はまず半年ほどの準備期間が必要だと断られました。

同日国家安全保障局アフガニスタンからサウジアラビアへ向けられた、「明日決行」との声明を傍受しています。この声明は9月12日に英語に翻訳されました。

オルバーマン

「我々に想像できたでしょうか」というフレーズで有効なのは「我々」という箇所だけのようです。[?]

ここまで、クリントン政権からアルカイダ戦略を何も受け継いでいないというライス氏の今週の主張から、駆逐艦襲撃が実際アルカイダによるものであることが明らかになってからnブッシュ大統領の反応まで、ブッシュ政権が何を真剣に行ってきたのか、そして何をしなかったのかを見てきました。