ジャレド・ダイアモンド、「文明崩壊」についてのインタビュー

前置き

http://www.americanscientist.org/template/InterviewTypeDetail/assetid/40344
より、1/28/05 掲載。
ジャレド・ダイアモンドは「銃・病原菌・鉄」で有名になった鳥類学/人類学者。これは最近日本でも翻訳された「文明崩壊」についてのインタビュー。

このトピック、文明の崩壊に興味をもったきっかけは?


単純です。考えた中で一番魅力的で重要なテーマだと思ったからです。何十年も興味をもっていましたし。崩壊した文明の遺跡にはみんな興味があることだろうと思います。ジャングルに覆われたマヤの都市遺跡や、アメリカの砂漠にあるアナサジ族の高層建造物とか。私も同じです。こうしたロマンある不思議のおかげで文明の崩壊というテーマに興味をもつようになりました。それに、崩壊する社会がある一方、何千年も続く社会もあるのはなぜなのか、不思議に思いました。さらに、これが重要なのですが、今日我々が直面している問題について何か学べないだろうか、と考えました。多くの問題は基本的には過去の社会を崩壊させたものと同じです。学ぶことができれば、過去の失敗を繰り返さないですむのではないか。そういうわけでこのテーマは非常に魅力的であり重要だと考えるようになりました。

序文では、このプロジェクトを始めたとき、もっと狭い範囲で、環境ダメージだけに関するものになると考えたそうですが、この本はより広範な問題を扱っています。研究を進めていく中で何か変化したのでしょうか。


ええ、考えは変わっていきましたね。純粋な意味での環境破壊というのはないということがわかりました。イースター島はそういうケースにもっとも近いと言えますが、それでもイースター島民はなぜ木を切りつくすというバカなことをしたのか、疑問の余地が残されます。人間が関わる要素が残るわけです。イースター島以外でも、ほとんど全てのケースにおいて人間による環境へのインパクトはあります。これに加えて多くの場合気候変動が影響してきますし、また通常、社会が何らかの理由で弱体化すると、敵対する社会が入り込もうとしてきます。それから友好的な社会あるいは交易相手が弱体化することもあります。この場合、自分たちは切り抜けることができても、隣人の問題で疲弊してしまうかもしれません。さらに人がどのようにこうした問題に対処するか、あるいは対処しないか、という全く人間的な要素もあります。こうした枠組みは調べるにつれて複雑になっていきましたし、また生活というものは当初考えていたよりも複雑なことを知らされました。

この本ではイースター島の問題が、ほかのどれよりも読者や学生をひきつける、と書いていますがこれはどうしてですか?


それはメタファーが非常に明快だからです。イースター島は世界中でもっとも孤立した、住むのに適さないゴミのような土地です。太平洋上にあるこの島はチリから500キロ、一番近いポリネシアの島で2000キロ離れています。ですからイースター島に問題が発生したときには逃げ場はありませんし、助けを聞いてくれる相手もいませんでした。ここにはこういうメタファーがあります。太平洋にぽつんと浮かぶイースター島は、宇宙にぽつんと浮かぶ地球のようなものだというものです。我々に問題が起こっても、別の惑星に逃げることはできないでしょうし、助けを聞いてくれるような緑色の ET なんて存在しないのです。

別のケーススタディにうつりましょう。この本はモンタナ州のビタールートバレーから始まっています。ここから始めようとしたのはどうしてでしょうか。モンタナは本で扱われている他の社会とどのように関わってくるものなのでしょうか。


ここには矛盾があるようです。モンタナは最も美しい、自然の豊富な州と考えられていて実際その通りです。それに人口密度も非常に少ない。ですからモンタナが環境問題を論じる本で出てくることはない、と思うかもしれません。草稿段階では、完成作で第二章にあたるイースター島を第一章にしていました。でも遠く離れたポリネシアの島であるイースター島から始めてしまうと、アメリカやヨーロッパにいる我々は、この本がどこか遠くの民族がトラブルに陥る話についてなんだと考えてしまい、我々賢明な現代人はポリネシア人がやったようなことはしないだろう、という感想を持ってしまうのではないかと思うようになりました。しかし実際は、表面をはいでみれば、自然豊かなモンタナにもこの地球にある全ての問題が凝縮されていることがわかるのです。


これに加えて私自身もモンタナへ50年もの間よく行きました。モンタナの人をよく知っていて、友人も多くいます。ですからそこでは自分たちの問題に対してどうやって取り組んでいるのか、様々な姿勢を実際に会って確かめることができました。一方イースター島の場合は、その首長や農民、漁師のことはわからないわけです。モンタナでは問題に対して行動している人を直接見ることができます。そしてこれがどこか遠くの人の問題ではなく普通のアメリカ人の問題でもあるということを理解することができます。それにこうしたことはアナサジのような南西部の砂漠だけに起こるだけでなく、もっと環境的にしっかりしているに見えるような地域でも起こるということがわかるのです。

モンタナは「アメリカ全体に起こっている環境問題の縮図」だと言っていますが、これはどうしてですか?


モンタナの重要かつ身近な問題に、有毒廃棄物を生み出す鉱山業があります。モンタナの経済は銅鉱山に依存している部分もありますが、砒素、カドミウム、銅や酸がそうした鉱山から流出しており、またこれからもそうでありつづけるでしょう。この問題によりモンタナ州民は20億ドルもの税金を支出しなければなりません。これは大きな問題です。モンタナ以外にも多くの州で鉱山問題や有毒廃棄物の問題があります。ハドソン川、ラブ運河、チェサピーク湾などです。


モンタナはまた森林管理、森林火災および森林政策で問題を抱えていることで有名です。森林火災問題は林業を100年単位で見たときに無視できない割合になっています。そうした森林火災は中部の多くで共通の問題です。さらにモンタナは気候変動による問題も抱えています。モンタナの多くでは農業は灌漑に依存しており、灌漑は山脈の冠雪を利用しますが、冠雪は地球温暖化により溶け出しています。モンタナにはまた土壌問題も存在します。土壌の塩化や流出が見られる地域もあります。それに、ここロサンゼルスでいすに座っている私が他のアメリカの都市の大気について問題にするというのは理不尽かもしれませんが、ミズーラという、バカンスの時に飛行機でよく行き来する、モンタナ南西部の町では、年間の多くの場合で大気はロスと同じくらい悪いのです。こうした問題はモンタナがアメリカのほかの州、それに全世界と共有している問題のいくつかの例に過ぎないのです。

ケーススタディーでもっとも魅力的だと思ったものに北欧人によるグリーンランド植民があります。これは450年間継続されましたが結局崩壊します。あなたはこの北欧人社会を近隣のイヌイット社会と比較していますね。イヌイット社会は生き残ることができました。何が非常に興味深かったかというと、北欧人はあなたが定義するところの「基本的価値観」を決して捨てなかったということです。なぜ彼らはそのような選択をしたのでしょうか。近くの水系には魚がたくさんいたのにも関わらず彼らは餓死してしまったということが指摘されています。こうした意思決定はどのように説明すればいいのでしょうか。


この問題は私も面白いと思いました。面白いけれども衝撃的でした。食料は豊富にあるのに餓死してしまった。もしかしたら食料に関するタブーがあったのかもしれません。しかしこの北欧人のケースはグリーンランドのような困難の多い環境であっても社会の崩壊が不可避ではないことを示しています。別の民族すなわちイヌイットあるいはエスキモーは北欧人が死んでいく中にあって生き残ったのです。北欧人はイヌイットから何も学ぼうとはしませんでした。おっしゃるように、北欧人のケースについてひきつけられるのは、悲劇があったからです。価値観があることで何百年と彼らは非常にうまくやってきましたし、そうしたヨーロッパ人にとっての開拓地で孤立したまま生き残ることもできました。そこに行くにはヨーロッパから一週間も荒波を越えていかなければならなかったのです。こうした集団の団結やアイデンティティという価値観、ヨーロッパ人であるというプライド、こうしたものが結局は彼らをダメにしてしまったのです。しかしこの悲劇は今も木霊しています。我々アメリカ人にとっては何世紀もの間非常にうまく機能した価値観があります。つまり孤立主義ですね。それに資源が非常に豊かな土地に住むことができて幸運だという感覚ももっています。しかしこうしたことはもはやあてはまらなくなっています。そしてもはや時代遅れになってしまった基本的価値観を再評価しなければならないというのは苦しいことです。

「北欧人の意思決定は自殺的だが、我々が今日行っているものとさほど変わらない」と書いています。まずお聞きしたいのは「我々」というのは地球全体としてでしょうか。それとも特にアメリカのことを指しているのでしょうか。我々も、北欧人が魚類に対して持っていたかもしれないタブーのような基本的価値観を持っていて、そのせいでより持続可能な生活を送ることができなくなっているんでしょうか。


どちらの問いにもイェスと言いたいと思います。「我々」と言ったとき、それはアメリカ人のことを指していますが、同時に世界人としての我々という意味もあります。さて我々は今日自殺的な行為を行っているでしょうか。北欧人が飢えているのに魚を食べようとしなかったというのはちょっとばかげているように見えます。しかし考えてみてください。アメリカは身近な問題、エネルギーや石油問題、水の問題、土壌流出問題、そういうもの全てを解決できていません。80年後に人類が存在していたとして、アメリカという、ドイツよりも一人当たりの石油消費量が2倍もある国を回顧してどのように言うでしょうか。ドイツは我々と同じように生活水準の高い国ですが、ドイツ人の石油消費量は半分です。我々の石油の浪費というのはおかしくないでしょうか。あるいはまた水問題が深刻な、実質的に砂漠といっていいこのロサンゼルスで、ゴルフコースがあり、庭に水をやるというのはおかしくないでしょうか。アリゾナ川やコロラド川をめぐってアリゾナ州と悶着があり、またシエラネバダの積雪では北カリフォルニアと争議がありますが、こうしたものに頼らなくともやっていけるかのようにロスで水は浪費されています。ですから、今でこそ当たり前と思っていますが、80年後には常軌を逸しているように見えることを我々アメリカ人はやっているんだと思います。

これも本の中で繰り返し出てくるテーマに、先進国と、先進国の生活水準を希求する発展途上国との間の緊張というものがあります。中国についての章では「中国やその他の発展途上国、それに現在の先進国全てが先進国並みのレベルでやっていこうとすると、世界は持ちこたえられない」と書いています。しかし発展途上国の人間からすれば自分たちの生活水準を上げて生きたいというのは当然のことです。それにあなたも本の中で認めていますが、先進国の人間が自分たちの生活水準をさげてもいいと思うというのはありえなさそうです。この問題を解決する方法はあるんでしょうか。この問題は悪化する一方なんでしょうか。


おそらく悪化していくだろうと思います。現状に歯止めがきかないからです。数字を出してみると、現在アメリカの一人当たりの石油消費量は中国の10倍です。中国は先進国の水準に追いつきたいと考えています。では中国が石油を一人当たりでアメリカと同じ量を消費するとすればどうなるでしょうか。世界の石油消費は106%の増加になります。比較的安価でクリーンな石油は数十年以内に使い尽くされてしまうのではないかとすでに心配されているわけですが、もし中国が我々と同水準になったとすると、石油は30年ではなく15年で使い尽くされてしまいます。


先進国が先進国の生活水準を維持できるかどうかについてですが、一見しただけではこれは当然ノーになります。何かをあきらめなければならないでしょう。しかしよく見れば、自分たちの水準を保ち、資源を効率的に運用できるような部分もある、ということが明らかになります。たとえば、現在世界中で消費されている木材や紙を、管理の行き届いた森林だけで供給することは十分可能です。こうした森林は世界中の森林からみればほんの一部分に過ぎないにもかかわらずです。しかし現状では木材は多くの森林から伐採されており、そうした森林の多くは持続可能な方法で管理されてはいませんし、管理が貧弱な場合がほとんどです。ですから重要なのは木材も紙も同量を持続的に利用可能なのですが、それは森林管理を改善することによってのみ達成できるです。漁業資源についても同様です。今までと同じか、それ以上の漁獲高をあげ、またこれからもずっと維持していくことは可能は可能ですが、それは漁場をうまく維持可能な形で管理していくことができればの話です。現実にはしかし、世界中のほとんどの漁場は管理が十分ではなく、維持不可能です。その結果次々と崩壊していっています。私が生まれて以来の話でいうとグランドバンクスのタラ漁や南カリフォルニアのアワビ漁は崩壊しましたし、北カリフォルニアのイワシ漁はカリフォルニアへ引っ越す前に崩壊していました。

成功した社会についても言及されていますね。アイスランドの長期的な成功や、日本やドイツでの森林再生などです。こうした成功した社会には共通の特徴があって、それで長期的な持続可能性を達成できたんでしょうか。


ええ、こうした成功した社会にはいくつかの特徴があります。成功社会は他よりも対処すべき問題が容易であった所のことが多いです。日本やドイツといった、降水量も多く土壌も肥沃であるような、しっかりした環境では成功しやすいといえます。しかし一方でアイスランドは環境的には非常に脆弱で、そこには困難もありました。しかしそれでも現在では世界で7番目に豊かな国という成功した社会です。一般的に言えば問題が容易な場合成功しやすいですね。


それから社会要因、つまり人々がどんな行動をとるか、というものがあります。エリート階層つまり権力者と、その他の階層との距離が小さければ小さいほど有利に働きます。政治指導者が一般庶民との間に壁を作ってしまうとどうなるでしょうか。たとえばここ南カリフォルニアではそれぞれの居住区には門があり、ミネラルウォーターが飲まれ、私設の治安組織があって、子供は私立学校に入ります。年金や健康保険は民間業者のものが利用されます。そうするともちろん個人の資産は公的保険制度や公立学校、警察や公共の水供給に対しては使われなくなります。これがトラブルの青写真です。ほかにも原因として、利害の対立が挙げられます。社会のほんの一部分が富を増やすために、社会全体を犠牲にするというものです。エンロンシンドロームを見てください。あるいは鉱山会社はどうでしょうか。彼らは川に廃棄物を垂れ流すことで利益を得たのです。そうしたほうが彼らにとっては安くすむからですが、他の人間にとっては何十億ドルもかかってしまうことになります。ですから成功に至るためには、利害対立を最小化させ、エリート階層との断裂を防ぐことが重要です。

この本の大きなゴールとして、崩壊の危機が迫っていると人々に警鐘を鳴らす意味があるように思います。しかしこれはなかなか届かないメッセージですね。この本の主要テーマをいくつか要約したものをニューヨークタイムズの社説で書かれ、経済学の教授から投書がすぐにかえってきました。彼は「ジャレド・ダイアモンドアメリカの未来に対して悲観的すぎる。我々はかつてないくらい巨大で地球規模の経済活動を行っており…ダイアモンド氏が案じている人口増加も見通しは明るい。抑圧的な政府や慣習はない今、人間こそが究極の資源である。我々は浪費するだけではなく、創造もしている」 あなたの意見は悲観的すぎるという、こうした主張に対してはどのようにお答えになりますか。つまり我々人間は自らの力で危険を乗りこえることができるのだという主張に対しては。


この方に対しては、自分の子供や孫がこれから生活しようとしている世界に対してもっと深刻に考えてほしい、と言いたいですね。例えばですが、特に地球規模の経済活動について考えてみましょう。もちろんこれはアドバンテージです。資源を使い尽くしたときにどこかほかで得ることができるという意味においては。しかし大きなリスクも伴っています。つまり我々は自分自身の問題だけでなく、彼らの問題にも直面せざるを得ないからです。1973-74年の湾岸石油危機では、遠くはなれた石油供給源の国々で起こる事件に対し、アメリカ経済がどれだけ脆弱であるかが示されました。特にエコノミストやビジネス分野の人々はよく、グローバリゼーションを利点だと考えます。我々アメリカ人が途上国の人々に、コカコーラだったりインターネットといったアメリカの優れたものを送り出す方法だと考えられています。しかし我々も他の国々に依存しており、そうした国々から悪いものがやってくることもありうる、というグローバリゼーションの意味は忘れられています。そうしたものにはテロリストや感染病、不法移民などがあります。不法移民に関してはアメリカやヨーロッパ、ドミニカやパナマに多数で押し寄せており、これは維持できないくらいの数になっています。

では、根本的に言って、世界に対する新たな視点を創造されようとしているのでしょうか。それとも我々の生活スタイルをちょっと修正したいと思われているんでしょうか。


単純な修正で済ませたいと思っています。すでにこのような環境や資源の問題に理解を示す人は多くいます。環境運動はほんの少し前、1953年に始まったので、まだまだ幼い運動ですね。それでも多くの人がこうした問題の重要性について考えるようになってきています。そしてほぼ半数の国民がこうした問題を深刻だと考えているのです。この前の大統領選挙では、えーと、国民の48%がそうでした。それに世界を見渡せば、アメリカは京都議定書に参加していない最後の国です。ですから世界のほとんどはすでに温暖化や気候変動の重要性を理解しているのです。端的に言って、根本的な変化は必要ではなく、あと3パーセントの人間が次の選挙で投票しさえすればいいのです。

研究していく中で、何か驚くような発見というものはありましたか?


たくさんありました。最も驚いたものは二つあります。まず、なぜ人々や集団は間違いを犯すのか、なぜ自分たちの周りにある明らかな問題を直視しようとしないのか、という問題です。この問題は複雑ではあるけれども魅力的なテーマになりました。もう一つは経済界で何が起こっているのかというものです。8年前は多くの人と同様、巨大資本は無茶をする悪であるというふうに単純に考えていました。最低限のことしか普通は守らないし、歯止めがない、と考えていました。しかし石油会社、鉱山会社、それから林業会社とともに共同作業を近年行うようになって、事実が見えてきました。いくつかは我々大多数が信じているよりもずっとひどいのですが、別のいくつかの会社は非常にうまくやっていて、環境対策についても、国立公園局がやるよりもずっと効率的に行っていました。それも慈善事業としてではなく、環境対策を行った方が安くつくということが明らかになったからです。こうして彼らはエクソンバルデスサンタバーバラの石油流出による爆発事故による40億ドルものリスクを最小化しているのです。

最後の質問です。調査を終了し本を書き上げた今、今日向かおうとしている方向に対しては楽観的な見通しを持っていますか?


楽観的ですが注意深くありたいと思います。17年前に妻と子供を持とうということを話し合ったとき、世界に希望がないわけではない、と思いましたし、今でもそう思っています。問題はもちをんありますが、問題に立ち向かっていけば、解決するチャンスも生まれます。この本を書いたのはそのためです。