ドーキンス:Teapot Atheists

おなじく Root of All Evil Part 1より、ティーポット無神論

訳は以下


科学は神が存在しないことを証明することはできません。でもだからといって神が存在するということにはなりません。証明できないようなことは何億とあるのです。


哲学者バートランド・ラッセルのアナロジーを見てみましょう。


太陽の周りを公転する陶器のティーポットを想像してみてください。このティーポットが存在しないという証明は不可能です。小さすぎて望遠鏡で発見することは不可能ですから。頭がおかしいのでなければ、「これでティーポットの存在を信じることができる。だって非在の証明が不可能なんだから」なんて誰も言いません。


もしかしたら厳密には存在するかどうか、知りえないという立場を取るべきなのかもしれません。しかし実際には、私たちはみなティーポットを信じてはいません。


でも想像してみてください。全ての人々、教師も、長老も、みんなティーポットを信仰している社会があるとします。
ティーポットの物語は世代を超えて社会の伝統の一部として受け継がれていきます。ティーポットについての聖なる書物も存在します。
そこで、ティーポットを信じない、という人が出てきたとします。そうした人は奇特に思われたり、狂っていると思われるかもしれません。


宇宙にあるティーポットのようにその非在を証明できないものは無限にあります。妖精、ユニコーン、ホグゴブリン、そういったもので、存在しないと証明できるものは一つもありません。でもそうしたものは信じていません。同じ意味で今日ではトール、アメン=ラー、アフロディテ、そうしたものを私たちは信じていません。


私たちはみな、社会がかつては信じてきたほとんどの神については無神論なのです。その中に、もう一つだけ神を加える人がいる。無神論とはそういうことです。