Beyond Demonic Memes

デイヴィッド・スローン・ウィルソンによるドーキンス批判、「Beyond Demonic Memes:ドーキンスが宗教について間違っている理由」を小出しで公開していきます。なんとはなしに、ですます調で。原文は以下から。

http://www.skeptic.com/eskeptic/07-07-04.html

ちなみにこれに対するドーキンスの短いコメントもあります。ポイントずれてるよという感じですか。

http://richarddawkins.net/article,1403,n,n

デイヴィッド・スローン・ウィルソン:Beyond Demonic Memes--ドーキンスが宗教について間違っている理由

リチャード・ドーキンスとわたしには共通点が多くあります。どちらも教育を受けた生物学者で、進化論についていろいろと書いています。それ自体が進化プロセスであるという観点から、文化について関心を持っています。わたしたちは個人的には無神論者で、宗教についての本を書いたことがあります。「Darwin's Cathedral」でわたしは進化宗教学という比較的新しい領域への貢献を試みています。ドーキンスの「神は妄想である」が出版されたとき、彼が進化論的に見た宗教の科学的研究をベースにして宗教批判を行っているのだ、と当然のように思っていました。残念ながらそうではなかったと言わなければなりません。彼はこのテーマについて独自の研究を何も行っておらず、また彼の仲間たちの研究を正しく反映してもいないのです。ここで「神は妄想である」を批判するのはそのためですし、またより大きな問題がかかっているのです。

同意するところ、同意できないところ


『神は妄想である』でドーキンスは宗教の不寛容性、盲目的信仰、残虐性、過激思想、悪用、偏見をはっきりと嫌悪しています。こうした問題は宗教のせいであるとして、宗教がなければ世界はよりよい場所になるだろう、と考えています。中東、それにここアメリカでの近年の事態を見れば、彼がなぜこうした結論を引き出したのか納得できます。でも問題があります。宗教は進化論にどういう風にかかわっているのでしょうか?

ドーキンスもわたしも、宗教を学ぶ上で進化論が強力なフレームワークを提示してくれるということには同意していますし、いくつかの細部についても同意があります。だから同意できないところを正確に指摘することは大事だと思います。進化学者は形質について研究するとき、いくつもの仮説を運用します。グッピーの模様のようなありふれたものに対してさえ。これは自然淘汰によって進化した適応形質なのだろうか。もしそうであるなら、他の集団と比較してその形質をもった集団全体に利することにより進化したのか、それとも集団内の他の個体と比較してこの形質をもった個体に利するものなのか。文化進化では3つ目の可能性があります。文化形質は個人から個人へと受け渡されますから、おもしろいことに病原体に似ていると言えます。おそらくこうした文化形質は自分自身の受け渡し能力を高めるように進化するのであって、そこには人間個人や集団に利する必要はないのです。

形質が適応によるのではなくても個体群に留まることはありえますが、これにはいくつもの理由があります。もしかしたらこの形質は過去には適応的だったけれど現在はそうではなくなっているのかもしれません。たとえば食習慣がそうですね。祖先が生きた食糧不足の環境では意味がありましたが、街角にマクドナルドが立ち並ぶような環境では意味をなしません。そうではなくてこの形質は他の適応の副産物だったのかもしれません。たとえばガは星の光を頼りにして飛ぶ方向を決めます(適応)が、この形質のせいで街灯や炎のような地上の光源に向かってらせん状に飛び込んでしまいます(犠牲の大きな副産物)。これについてはドーキンスが『神は妄想である』で詳しく説明しています。あるいはそうではなくて、この形質は淘汰上は中立で、個体群内に留まっているのは遺伝的ないし文化的浮動のせいかもしれません。

ドーキンスもわたしもこうした主要仮説が宗教研究を整理する上ですばらしいフレームワークを提示してくれるということには同意しています。このことはそれ自体が重要な成果です。それにこうした仮説が相互排他的ではないということにも同意しています。進化はごちゃごちゃとした複雑なプロセスです。法律やソーセージをつくりだすのと同じです。だからこれら主要仮説すべてがある程度関わりあっているのかもしれないのです。しかし研究を進めるためには、特定の形質の進化にとってどの仮説がもっとも重要なのかを決定しなければなりません。グッピーの模様は応用の利かないものに見えるかもしれませんが、これは進化分析のケーススタディとして生物学者には良く知られています。この模様は2つの強力な淘汰圧に対する適応である、と一義的には説明できます。捕食者がもっとも派手なオスを個体群から取り除く一方で、メスはもっとも派手なオスを配偶者として選ぶ、というものです。この2つの淘汰圧の間での相互作用から、グッピーの模様について詳しいことがすばらしいほどに説明されます。また、捕食者が魚類ではなく甲殻類の場合には、こうした模様が基本的に赤色をしていることさえも説明できるるのです(魚類の視覚系は赤色に対して反応できますが、甲殻類の視覚系にはできないためです)。グッピーの模様が淘汰上中立であったり、他の形質の副産物である可能性もあったのですが、事実からはそのような結論は導き出されなかったのです。


(つづく)